名前にまつわるエトセトラ vol.2 〜自分の名前が嫌いでした〜

自分の名前が嫌いでした。
記憶を辿ってみると、おそらく4〜5歳くらいから、ずっと。

いちばんの理由は、正しく読んで(呼んで)もらえないから。

weeping girl 写真

私の本名は「美紀」と書いて「みのり」と読むのですが、見事に100人中100人が「みき」と読み間違えます。

今でこそ、女の子の名前としてよく見かけるようになりましたが、私が子どもだった頃は俳優の寺田農か声優の松島みのりくらいしか知ってる「みのり」はいませんでした。当時好きだった立原えりかの童話にも男の子の名前として登場していたので、子ども心に「なんかかわいくない…」と感じていたんです。

苗字(旧姓)の方もこれまた電話帳に1軒(実家)しか掲載されていない程度の珍しさで、こちらもまあよく読み間違えられ、正しく読めるのは100人中3人くらいだったでしょうか。

そんなこんなで、幼少の頃から自己紹介や出席確認時には常に名前の読み間違いを訂正し続ける人生が幕を開けたのです。

教室 写真

小学生の頃、両親に自分の名前の由来を聞いて作文を書くという国語の宿題が出され、両親が新婚旅行で訪れた紀伊地方が自分の名前の由来だということを知りました。

当時の新婚旅行の定番が熱海や南紀白浜だったというような知識もない子どもだったので、「ハワイとか沖縄じゃないなんてダサい」とか「紀伊国屋はノリノクニヤじゃないのに、なんでミキじゃなくてミノリなの?なんて思ったりして、とにかく、やっぱり好意的に受け取ることができませんでした。

高校生の頃、世界各地の神話や伝説が好きで読み漁っていた中で古代中国について独学で文献調査をしていた時、白川静の『字統』という超絶面白い本に出会いました。

そこで「美」という漢字が「大きい羊」を表す会意文字であるということ、そして、神への生贄の立派さを讃える意味があるということを知り、ギリシャ神話でゼウスに捧げられた黄金羊だったり旧約聖書でエホバの神に捧げられた供物だったりというイメージと直結してしまい、「美しくなるようになんて願っても大抵名前負けするし、親が大事な子どもに付けたら、イサク(アブラハムの息子)の燔祭みたいなことになりそうで不吉」だと思い、ますます自分の名前嫌いが深まっていきました。

アブラハム 写真
Abraham Sacrificing Isaac by Laurent de LA HIRE

そして、名前にまつわるエトセトラ vol.1 〜聖杯伝説への誘い〜にも書いたように大学時代に留学先で自己紹介する時に、「ミノリは収穫(実り)という意味です」という、本来の名前の由来とは異なる伝わりやすい説明をするようになっていったというわけです。

今になって考えてみると、よくぞここまで自分の名前を嫌い続けて自己否定の思考の上塗りをしていたものだ! 😆 とある意味感心してしまうほど(苦笑)。

良くも悪くも思考は現実化するので、20年近く自分の名前に否定的なエネルギーを注ぎ続けた結果、この後、名前にまつわる負の現実化を見事やってのけ、ある事件が勃発するのですがそれはまた次回へとつづきます。

article no. 009

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