通勤電車を降りて冒険の旅へ出よう!

先日、ON/OFFスイッチの切り替え方について質問を受けました。

私のON/OFFスイッチの切り替え方法は

「川を渡る」です!

私が育った川口も現在住んでいる川崎も、地名が示すとおり大きな川がある街です。学校に行くにも仕事に行くにも、いつも川を渡って向かっていたので、電車で川を渡って都内に入るとONモード、逆に都内から出るとOFFモード、という感覚が、今も昔も変わらずあります。

川を通過するときって、たとえそれが徒歩であろうと車や電車に乗車していようと、禊(みそぎ)的な何か、ある種の浄化の力が働くような気がします。心の内のモヤモヤしたものを水に流して穢れを祓うような感じ。

浅間台 写真

そんな私の日課は、電車で多摩川を渡るときに、多摩川の神様(多摩龍さん)と富士山(センゲンさま)と多摩川浅間神社の御祭神(咲耶姫さま、菊理媛さま、速玉男命さま)とアマテラスさまと亀の甲山古墳に眠る主さんと多摩川台公園の双子のメタセコイヤさんにごあいさつをすることです。

「おはようございます。
 いってまいります。」

「今日も無事に過ごせました。
 いつもありがとうございます。」

という程度の簡単なあいさつなんですが、これを心の中で唱えると、自分の中心にアンカリングできて、一日気持ちよく過ごせます。ぜひお試しあれ。

昨日、仕事で名古屋に出張していたのですが、帰りの新幹線の車窓から富士山が綺麗に見えました。

富士山 写真

その写真を今朝、通勤電車の中で眺めていたら、ちょうど多摩川にさしかかって、晴れてはいたけどガスで霞んで富士山は見えず…でした。冬の間は毎日のように見えていた富士山も、これからの季節は見えない日が多くなります。

姿は見えねどそこに御座しますセンゲンさまをはじめとして、いつものルーティーンの朝のごあいさつを終えて、お社を見ながら「またお休みの日にゆっくりおまいりいたします」とお伝えしたところ、どこからともなく「なんで休みの日? 今行かないの?」というツッコミの声が聞こえてしまいました。

「そう言われてみれば、行けないわけじゃない……よし、行っちゃえ!」と思い、ワタクシ、衝動的に通勤電車を飛び降りて途中下車してしまいました!

いつもあいさつに来てくれるカラスさん(速玉男さん絡みでヤタガラスもご縁がある神社なのです)の歓迎を受け、倭姫のお言葉も思いがけずいただいて、空や新緑を見ながらすっかりリフレッシュできました。

多摩川浅間神社 写真

sun 写真

新緑 写真

烏 写真
この中にカラスが隠れています!見つけられるかな?

時間に余裕をもたせて家を出ていることもあり、仕事にも遅刻せず、贅沢なひとときを過ごすことができました。途中下車の旅、なんだかとっても気分爽快で、いつでもできる小さな冒険としてオススメです!

<おまけ情報>
多摩川浅間神社は安産祈願で有名ですが、実は、私たち夫婦が結婚式を挙げた神社でもあります!(そのうえ、結婚当時に住んでいた家からも、引っ越し後の現在の家からも、鬼門封じになっているという!ありがたや〜) 家族や親しい友人とあたたかい雰囲気の神前挙式を検討されている方は、権禰宜さん含むこちらの神主さんご一家の細やかな心配りに感激すること請け合いです。

結婚式 写真
多摩川浅間神社
〒145-0071 東京都大田区田園調布1-55-12
東急東横線・多摩川線・目黒線・南北線・三田線多摩川駅より徒歩2分
http://sengenjinja.info/annai/index.htm

article no. 012

桜を見ると思い出す

通勤途中に通る道に咲く桜たちが「おいでおいで」してました。

桜 写真

長い冬の間、ひそやかに、しかし、ふつふつと、新たなる生命の息吹をその幹や枝に蓄えて漲らせてきた桜たち。その生命力を爆発的に炸裂させるときがきてよかったね。今年も私たちの目を楽しませてくれてありがとう。

オーラソーマ・カラーケアシステムでは、マジェンタが「日本、そして日本人の質を表す色(チベットも同じ)」と言われますが、ほとんど白く見えるほどの淡い淡い薄桜色にも、私は日本および日本人らしさの一面を強く感じます。国花だから当然か!

ピンク色が表す「無条件の愛」を超越した「愛そのもの」のような。「惜しみなく生きる歓び」と「それ以外の余計なものを全部手放す潔さ」も感じられて。儚くて可憐なんだけど、凛として強い。さふいふ女に私もなりたひ。

今日は桜を見ると思い出す本のことを書こうと思います。

桜の森の満開の下 書影

高校生の頃好きだった作家、坂口安吾の作品『桜の森の満開の下』

安吾の作品には『白痴』『風博士』『堕落論』など面白い作品がたくさんありますが、個人的にいちばん好きなのは『青鬼の褌を洗ふ女』です。

でも、物語や日本語の文体の凄みのある美しさと、色鮮やかに瞼の裏に浮かぶような情景が圧倒的な『桜の森の満開の下』は別格な印象があります。

物語は、鉄のように冷たく残忍な心をもった山賊が、美しくも残酷な女に惚れて、女のために自分でも思いがけないことをしてしまうお話。

叶わぬ恋をして自分を下に置き、相手を喜ばせるために自分が望んでもいないことを繰り返していく山賊の姿が、哀しく、また思い当たるふしもあったりなかったりするような(笑)、いつかの自分の姿を見ているようでもあります。

人を愛すれば愛するほど、己の孤独に直面せざるをえなくなり、終いには、相手を憎んだり、相手に怯えたり、わけがわからなくなってしまう。

そんな山賊の姿は、まるで泣き叫ぶ赤子のようで、その醜態がかえっていとおしくて、そこに「はっ」とさせられるような美を見出します。

中学生の頃大好きだった梶井基次郎の『桜の樹の下には』を読んだときにも桜の花はおそろしく人を不安にさせるもの、という強烈なイメージを抱きました。そして、その樹の根元にある屍体のイメージも!

美しいものってなんだか怖いんです。

洋の東西を問わず神話や古典の中で描かれる美しいものって慕われ憧れられる存在でありながら同時に畏怖の対象でもあるんですよね。

美しいものって、自分の美しさを知りぬいていて、その前にひとりで投げ出された人間は、己の醜悪さや孤独をまざまざと見せつけられてしまうから、おそれおののかずにはいられないのかもしれません。

美しさに魅せられて、精魂尽き果てるまで愛しぬいても、相手の愛が手に入らなければ、狂気の垣根を越えることなんていとも簡単なこと。

これは、冷たすぎて火傷するような性質の孤独に関する物語。美しくてとても痛い。そして、麻薬のような味わいがある(…味わったことないけど!)

以上、uniちゃんによる私的解釈の『桜の森の満開の下』の感想でした。

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article no. 011

名前にまつわるエトセトラ vol.2 〜自分の名前が嫌いでした〜

自分の名前が嫌いでした。
記憶を辿ってみると、おそらく4〜5歳くらいから、ずっと。

いちばんの理由は、正しく読んで(呼んで)もらえないから。

weeping girl 写真

私の本名は「美紀」と書いて「みのり」と読むのですが、見事に100人中100人が「みき」と読み間違えます。

今でこそ、女の子の名前としてよく見かけるようになりましたが、私が子どもだった頃は俳優の寺田農か声優の松島みのりくらいしか知ってる「みのり」はいませんでした。当時好きだった立原えりかの童話にも男の子の名前として登場していたので、子ども心に「なんかかわいくない…」と感じていたんです。

苗字(旧姓)の方もこれまた電話帳に1軒(実家)しか掲載されていない程度の珍しさで、こちらもまあよく読み間違えられ、正しく読めるのは100人中3人くらいだったでしょうか。

そんなこんなで、幼少の頃から自己紹介や出席確認時には常に名前の読み間違いを訂正し続ける人生が幕を開けたのです。

教室 写真

小学生の頃、両親に自分の名前の由来を聞いて作文を書くという国語の宿題が出され、両親が新婚旅行で訪れた紀伊地方が自分の名前の由来だということを知りました。

当時の新婚旅行の定番が熱海や南紀白浜だったというような知識もない子どもだったので、「ハワイとか沖縄じゃないなんてダサい」とか「紀伊国屋はノリノクニヤじゃないのに、なんでミキじゃなくてミノリなの?なんて思ったりして、とにかく、やっぱり好意的に受け取ることができませんでした。

高校生の頃、世界各地の神話や伝説が好きで読み漁っていた中で古代中国について独学で文献調査をしていた時、白川静の『字統』という超絶面白い本に出会いました。

そこで「美」という漢字が「大きい羊」を表す会意文字であるということ、そして、神への生贄の立派さを讃える意味があるということを知り、ギリシャ神話でゼウスに捧げられた黄金羊だったり旧約聖書でエホバの神に捧げられた供物だったりというイメージと直結してしまい、「美しくなるようになんて願っても大抵名前負けするし、親が大事な子どもに付けたら、イサク(アブラハムの息子)の燔祭みたいなことになりそうで不吉」だと思い、ますます自分の名前嫌いが深まっていきました。

アブラハム 写真
Abraham Sacrificing Isaac by Laurent de LA HIRE

そして、名前にまつわるエトセトラ vol.1 〜聖杯伝説への誘い〜にも書いたように大学時代に留学先で自己紹介する時に、「ミノリは収穫(実り)という意味です」という、本来の名前の由来とは異なる伝わりやすい説明をするようになっていったというわけです。

今になって考えてみると、よくぞここまで自分の名前を嫌い続けて自己否定の思考の上塗りをしていたものだ! 😆 とある意味感心してしまうほど(苦笑)。

良くも悪くも思考は現実化するので、20年近く自分の名前に否定的なエネルギーを注ぎ続けた結果、この後、名前にまつわる負の現実化を見事やってのけ、ある事件が勃発するのですがそれはまた次回へとつづきます。

article no. 009

ハートが至福にしたがうとき

ディズニー映画『モアナと伝説の海』を映画館で観てきました。

モアナ 写真

ポリネシアン・トライアングルの先住民たちの神話や伝説の形式を借りて太古からの叡智が散りばめられた少女の冒険の物語。

・自分を信じること
・勇気を出して未知へ踏み出すこと
・ハートにしたがううこと
・仲間を大切にすること
・守られていること
・愛されていること
・あきらめないこと
・やり遂げること

などなど、児童文学としてはありきたりすぎる「英雄の旅」ベースの成長物語なのですが、そのシンプルさゆえに力強くブレがなくただまっすぐにズドーン!と入ってきました。

私たちは愛されているがゆえに愛してくれる誰かの期待についつい応えようとしてしまいます。その愛を失わないために。自分に失望されることを恐れるがゆえに。

でも、心は他の誰かの期待に沿うことを真実望んでいるのでしょうか?

従っていれば安全な居場所にいることができる。その代わり、血湧き肉踊る、魂が震えるような体験を遠ざけてしまったとしても?

その人生の選択の先に、最後に笑って死ねるのだろうか?と自分自身に問う私がいます。誰かの期待に応えることを、自分が挑戦しない言い訳にしてしまってはいないのか?と。

モアナ 写真

それでもこれまでは、年長者や権威者に従うことや家族をはじめ愛する人々のために自分を犠牲にすることが美徳とされてきたかもしれません。

事実、将来の夢があったけれど諦めて、家族のために尽くして働いてきたというような話はゴマンと耳にしてきました。それらの話は一聴すると美談仕立てなのですが、よくよく考えると本当にそうなのかな?と疑問に思います。

だって、もし自分が尽くしてもらう立場だとしたら、愛する相手に自分のために夢を諦めないでほしいと願うでしょうし、逆に自分が夢を諦める立場だとしたら、自分で自分を幸せにすることを放棄しているだけなのに大切な人たちの愛をすり替えて利用しているような気がしてしまうから。

もう、誰かに犠牲を強いて、その上に成り立つそこそこの幸せをよし、とする時代はとっくに終わっているのだと思います。

ハートが至福にしたがっている時、それは使命を実行しているのと同時に本当の意味で生命につながって=生きています。

どうせ生きるなら、死んだように生きたくはない!

そんな強い想いを抱く人たちが増えてきているのではないでしょうか。

『モアナ…』と同時上映されていた『インナー・ワーキングス』というショートフィルムがあるのですが、こちらも、上記のテーマを『モアナ…』同様にそのまま伝えてくれていました。

インナー・ワーキングス 画像   Leo Matsuda 公式HPより

ある意味、同じメッセージを一度に2本の映画で伝えているのでくどいといえなくもない(笑)んですが「重要なことは2回言え!」という鉄則に従っているともいえますね。

というわけで、私ももう一度(笑)

死んだように生きたくはない!

どうせいつかは死ぬのなら、禁止事項だらけの中、消去法でかろうじて残った単調で安全な選択肢より、顔をしかめられようが、笑い者にされようが、失敗しようが気にせずに「やってみたい!」と心から感じることに素直に従う方が、喜びがほとばしる色鮮やかな人生を送ることができるのではないでしょうか。

そして、ここがいちばん肝心ですが、愛する人たちを愛したままで、そしてもちろん愛されたままで、そんな人生を送ることは可能です。

私たちは愛を失うことを怖れるあまり、わざと愛を過小評価しようとしてきたのかもしれません。でも、もう怖がるのはおしまいにしていいんだよ、と私はあなたに、そして自分にも許可を与えたいと思います。

人生は、観て感動するものではなく、現実に生きて体験するもの。
街へ出て、人に会おう!
行動して、体験しよう!

理性ではなく至福にしたがおう!
Follow your bliss!

sparkle  写真
article no. 008

名前にまつわるエトセトラ vol.1 〜聖杯伝説への誘い〜

昨日今日と、街を行き交う袴姿の華やいだ雰囲気の美しい女性たちをたくさん見かけました。都心でも桜の開花が宣言され、卒園・卒業の季節を迎えていますねー。この春、卒園・卒業されるみなさん、ご家族のみなさん、おめでとうございます!

桜 写真

4月から年長さんになる息子が、卒園するお兄さん・お姉さんのためにお友達と練習しているという歌を、お風呂で聞かせてくれました。

携帯CMソングにもなっている「ありがとう、さようなら」や、くれよんしんちゃんの映画主題歌「友よ〜この先もずっと…」など、私自身は知らなかった曲ばかりですが、すてきな歌詞に感動しつつ、そんなむつかしい歌詞を覚えて歌えるようになった息子の成長に、思わず涙腺が緩みます。

 

卒業といえば、子どもの頃から『はいからさんが通る』(年がバレますね)の紅緒さんのような袴姿で式に参列することに憧れていました。でも、中学高校は制服のブレザー&キルトスカートだったし、イギリスの大学に進学したため、袴コスプレ(笑)に袖を通す機会には恵まれない学生時代でした。今思うと少し残念な気持ちで、街を闊歩するはいからさんたちを憧れと羨望の眼差しで見つめています。

そういえば、イギリス留学時代に自己紹介で自分の名前の意味について尋ねられ、英語で説明する際に困ることがありました。

というのも、私の本名は美紀と書いてみのりと読むのですが、両親が新婚旅行で行った紀伊地方が私の名前の由来だったからです。

円月島 写真

出典:リゾートホテル ラフォーレ南紀白浜

「私の名前は“美しい紀伊地方”という意味です」と伝えて紀伊地方の説明などできたらよかったのですが、18歳の私は紀伊地方についての知識がほとんどなかったこともあり、あまり深く考えずにわかりやすいという理由だけで「Minori means harvest in Japanese.」と答えていました。<ダメじゃん!(笑)

ある日、それを聞いていた日本人留学生から「ミノリの漢字は収穫の実りじゃないのに、どうして?」と、ごく自然に指摘され、「はっ!」となりました。

面倒くさいとかいい加減とか、ましてや嘘偽りなんていうつもりもなく、でもよく考えると(いや、考えなくても、笑)かなりいい加減な説明をしていたなーと、自分でもおののきました。

確かに、美紀のみのりは収穫のみのりではありません。でも収穫の意味の「実り」という言葉を聞くたびに、ごく自然に自分の名前を呼ばれている感覚が、幼い時分から常にあったのも事実だったんです。

収穫 写真

それが言霊や音霊の影響であったということを知ったのは、それからずーっと後のお話になります。

今思うと、あの時、日本人留学生が投げかけてくれた素朴な疑問のおかげで、名前に端を発する私の「行動する自己探求の旅(それはまるで聖杯伝説のようなかけがえのない宝物を手に入れる物語でもあります)」が始まったように思います。

自分自身を思い出すための「鍵」でもある名前について語らせたら、私以上に暑苦しく語れる人はそういない!というくらい思い入れがあるテーマなので、次回に続きまーす!

article no. 007