色と私

オーラソーマ(Aura-Soma)という、色と光を使って心と体と精神と魂という人間のひとつなぎ、まるっと全部をケアするシステムがありまして。かれこれ10年以上、そのシステムを学び続けているワタクシです。

思い返すとオーラソーマに興味を持ったのは13年くらい前のことですが、実は、もっと小さい頃から「色」に関心がある子供時代を過ごしてきました。

小学校に上がる前から母の化粧水が入った瓶に色鉛筆の芯の部分だけを細かく細かく削った粉を混ぜて色水を作って並べては悦に入ってました。

小学生の頃は、ビーズ手芸。スワロフスキーのような高価なものではないけれど、玉虫色に光る加工がされた小さなビーズが光を受けてキラキラ輝くのを見て長時間うっとりしてました。サンキャッチャーも大好きだったな。

中学・高校の頃は、芸術全般が好きで自習時間に学校を抜け出しては学校近くの美術館や銀座有楽町界隈の映画館にひとりで通ってました。

この時期の私は鑑賞なんてなまやさしい見方じゃなくて、制作者が精魂込めた本物の芸術作品が放つ凄まじい生命エネルギーのうねりに全身を晒して、息を止めてその圧に吹き飛ばされないように対峙するというような、なかなか鬼気迫る感じで大真面目に芸術作品と取っ組み合いをしていました。


大好きなセルゲイ・パラジャーノフの『ざくろの色』より

もの言わぬ、けれど饒舌過ぎるほど饒舌な作品たちから、抜き差しならない真剣勝負でどれだけ多くのことを教わったか、と思うと、今でもクラクラ目眩がするほどです。なまぬるいものに飽き足らない当時の私にはそれが快感だったし、感受性豊かな年代にこういう体験に没入できたことが、私の宝物であり基盤をなしているんだな、と思います。

その後に進学した大学や専門学校では、映画に関する論文を書いていました。ピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』やクシシュトフ・キシェロフスキの『トリコロール3部作』などを題材に。

当時は気づいていませんでしたが、「人間の感情と色彩」というテーマが、この2作品には共通していたんですよね。

 

色と感情って、割とよく取り上げられるテーマだと思います。

それこそ、オーラソーマにかかわらず、古今東西のカラーセラピー的なもので、赤はエネルギッシュ、黄色は快活、といったように、色と心理状態が結びつけられているものってとてもよく目にします。

でも、私にとっての色と感情って、A=Bみたいに教科書で知識として学習して覚えたものじゃなくて、もっと痛々しく生々しい感覚的なものでした。

中高生の頃の私は、心身症という簡単にいうとストレス性の反応が体に出てしまうという症状を患っていました。

心身症と一括りにいってもその症状は様々で、私の場合は、自分の中にある、そこにあってほしくない感情(嫌悪感とか罪悪感とか嫉妬とか不全感とか)を自分の中にとどめておきたくなくて、代わりに胃の中のものを吐き出してしまうという神経性嘔吐の形で表れました。

私が中学生の頃から文章を書いて書いて書きまくって原稿料をもらっていたことについてお話すると「すごいですね」って言っていただけることがあるのですが、そんなの全然すごくなくて。

そうやってネガティブなものを排泄し続けていないと、その黒い塊に自分が内側から食いつぶされてしまう、という危機感みたいなものをリアルに感じていたからこその衝動だったんです。

そういう意味で、呼吸しないと死んじゃうのと同じレベルで書かないと死んじゃう!という状態で、生きるために書いていたので、もし書かずに嘔吐してるだけだったら、自殺してたか発狂してただろうなー、と思います。

って、なんか、話が重くなってきたので(苦笑)ちょっと軌道を修正しますね。

実は、その時の吐き出したい感情が、なぜか私には「色」で認識されていたんです。

NLP的なタイプが関係あるのかはわかりませんが、感情を匂いで感じたり、図形や音や温度で感じるという人の話を聞いたことがあります。私の場合は感情とか感情にまつわる背景を思うとき「色」が見えていました。

最初は「◯◯ちゃんに嫌いって言われちゃった…嫌だな」って思う程度だったたものが、「◯◯ちゃん、ニガテ」になって、悲しさ、悔しさ、怒り、それでもどこかで好きな気持ち、とかが複雑に混ざりあって、水彩絵の具の筆洗いバケツの水の色みたいになっちゃって。

◯◯ちゃんと会話しようとすると吐き気を催す(言葉にするとなんて酷い!苦笑)という症状が最初に表れて、次に◯◯ちゃんのことを考えるだけで吐き気、最後は、◯◯ちゃんと関係なく「イヤ」という感情=バケツの水の色を思い出すだけで吐き気、というところまで行き着いてしまい、授業中にバッと席を立ってトイレで吐く、という……。

そうこうするうちに、吐かないために食べないようになり、摂食障害への道を辿ってゆくわけですが、母が握ってくれたおむすびというソウルフードに、心と体と精神と魂のまるっとぜんぶ、の「いのち」を救われて、今、私はこうして生きているわけです。そのお話はまたいずれ。

そんなこんなで、知識として知る前から、いやいや、もっと前のものごころつく前から既に虜になっていた「色」の世界。そんな私の目に映る色の世界を、気ままにシェアしてゆこうかな、なんて思います。

いやー、前置き長かったー。(笑)

あまりに長くなりすぎたので肝心なイロモノ(?)記事は次回に!

article no. 021

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