ちゃぶ台をひっくり返したくなったら 2

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WordPressに変わる手段をいろいろ模索していた時に、以前運営していた静的HTMLの自サイトでかつての自分が書いたコンテンツを読み返してみた。これが、もう自画自賛以外の何ものでもないのだけど、個人的に面白い!と感じてしまった。当然ながら、自分が書いているのだから興味や趣味・嗜好性のど真ん中なわけなんだけど、このWordPressで書いてきたことの100倍面白いと正直思った。

その違いは、ものすごく明白で、営利を目的としていない完全なる自己満足サイトで、自分が考えていること、感じていることを他人の目を恐れずに率直に書いていたからだ。

正直、今のMANO A MANOの更新がこんなに億劫(ぶっちゃけすぎ)で、更にまっさら事件という現実を自分で創造しちゃったのだって、結局のところ、自分自身がいちばん面白がっていないのが原因なのだと思う。

私が“嘘くさいいい子ちゃん”過ぎて面白くないのだ。

小学校低学年の頃から毎年親が先生に呼び出される問題児だった私が、中学入学後1年くらいすごく平和で穏やかに生きていた時期があった。それは公立の小学校から私学のクリスチャンスクールに入学して、いわゆる良家の子女たちとキリストの教えに馴染もうとした努力の賜物だったのだけど、今思えば、羊の群に入った狼が羊になろうとして不毛な努力をしているような状態だったと思う。

12歳の柔らかい頭への教化の影響もあって、それが正しいと信じての努力だったけれど、お腹の中で吠え狂う自分の声がどんどん大きくなっていって、誰かの言いつけを守る“いい子ちゃん”を、あるタイミングでやめた。それと同じようなことが、今また、私の中で起こっている。

去年、ビジネスについて学んで、教えられたことをやって、いや、教えられたこと全部なんて全然できてないけど、それでも、言われたことを一度飲み込んでやってみて、実際に成果も出たけれど、それをやっている自分が正直、吐き気がするほど嫌で嫌でしょうがなかった。

当時から「行動しろと言われて動いちゃう自分が、投げられたボールを条件反射のように拾いに行く犬みたいで嫌で嫌でたまらない」と仲間に漏らしてもいた。「普通の人は行動できなくて悩むのに、行動しちゃうのが悩みなんて、言ってる意味がわからない」なんて変人扱いされたりもした。「考える前に行動にうつせるなんて、教えたことが身体化できていて、ブレイク前夜ですね!」とは当時の講師の談。自分の違和感を無視して走った結果、まったく動けなくなってしまったので、未だ夜は明けないままなのは見てのとおりだ。

そんな違和感ありまくりで立ち上げたWordPressサイトは、ビジネスサイトを作らなければいけないのに、メインサービスはメニューに載せない、スケジュールも載せない、お客様の声ももらってるのに全然載せない、のないない尽くしで、「uniちゃんのサービスはどこで見られるの? どうしたら申し込めるの?」と尋ねられる体たらく。

だって、本当に元も子もない言い様だけど、自分でも気が進まなかったのだ。気が進まないながらやったことは、意図しないものを引き寄せて、更にやる気を失うことにつながってしまったこともあった。

今回、まっさら事件を機にまた自分の中の吠え声が大きくなった。「自分自身を思い出したい人、いらっしゃい」と呼びかけている私自身が自分自身を思い出すために、牙も爪も隠すどころか常に研いでおくことこそが生きていく上で必要不可欠なことなのだと思う。

そういうわけで、ちゃぶ台をひっくり返します。

ちゃぶ台をひっくり返したくなったら 1

WordPressのプラグインを更新したらWordPressがまっしろけになってしまったまっさら事件以来、 mano a manoをどうしたものかと思い、試行錯誤していた1ヶ月。

まずは、契約しているサーバを動かしているプログラムのバージョンが原因で、 現時点でWordPressの更新をそのまま素直に受け入れて行くことが環境的に不可ということが判明。

じゃあサーバの借り先を変えればいいということになるんだろうけど、 メール(個人だけでなく家族も使用している)だったりドメインだったりの契約もまとめてしている プロバイダーなので、乗り換えによる影響範囲が大きくてなかなか気軽にはいかないということを理解した。

次に、WordPress以外のブログサービスに切り替えようと思い、とある有料サービスに申し込んだけれど、「帯に短し、襷に長し」という状況だったのですぐに解約。

手詰まりの末に思い立ったのは、今更ながら以前運営していた静的HTMLのウェブサイトを復活させる案。 そこで2週間ほどちくちくHTMLを修正・更新する日々が続いていたのだけれど、 レスポンシブ対応の面でこちらも断念に至る。

結局はプロバイダーが自社サーバにお金をかけてシステム環境を更新してくれるのを待ちながら WordPressはあまり触らずにいくという暫定的保留措置を取ることになった。

自動でback upを取るのは、最初のサーバ側のシステム環境問題に一周して戻ってしまい不可能なので、とりあえずは手動で実行していくしかないようだ。 幸いなことに、そんなにたくさん書いてないので、消失してもさほど痛手でもなかったりして。

プラグインの更新に起因してサイト内リンク切れが多発していたので、 固定ページは一旦すべて非表示にした。

というのも、今日のタイトルに関わるのだけれど、なんとなく、 ここらで、この1年くらいやってきたことのちゃぶ台をひっくり返したくなったのだ。

と、ようやくタイトルまで到達したけれど、長くなってしまったので、つづく。

豊かさの教え 〜ニライカナイ編〜

自分の内側にある目に見えない富についての気づきをシェアしたついでに、以前、豊かさに関するワークをした時の体験を思い出しました。自分にとっての備忘録的な意味も込めて書き残しておこうと思います。

フラワーエッセンスを使って22日間で自分に必要な豊かさを実現するプログラムがあります。その名もアバンダンス・プログラム


Nature World

販売元のウェブサイトには以下のような説明がされています。

アバンダンスプログラムには、2本のエッセンスと1本のオイル、そして自己発見と自己成長の為の22日間のエクササイズが含まれています。このプログラムは、自分の意図を明確にし、必要のない信念、態度、行動などを脱ぎ捨てて、自分自身の「豊かさ=アバンダンス」の目標を、楽しみながら、たやすく実現することを助けます。

このプログラムに取り組んでワークもそろそろ終盤という時期に「豊かさとは?」という問いに対する私の中から出てきた回答が、とてもシンプルかつ印象的だったので、未だに忘れられずにいます。

※以下に書くのは瞑想していた時に浮かんだ情景と会話です。

そこは、サンゴ礁の浅瀬が続く白い砂浜でした。

八重山諸島の竹富島のコンドイ浜のような場所といったら、イメージが伝わりやすいかもしれません。


やいまねっと

その砂浜には私の他に、アンガマのウシュマイのお面のような顔をした神様がいて、私に「豊かさ」についてこんな話を聞かせてくれたんです。

*****

unico:オジイ、どうしたら充分豊かでお金の不安のない生活ができるようになる?

神様:そんなのカンタンさー。豊かさは目の前に無尽蔵にある、と思えばいいさー。地球上の全員が手にしても減らないくらいたくさんあるからよー。

unico:本当?! 無尽蔵どころか、私の持ってる現実の豊かさときたら、悲しいくらい微々たるものなのよー。

神様:こんなにたくさんあるでしょー?!

unico:あると思いたいけど…

神様:よーく聞きなさい。これから大切なことを教えるよー。豊かさは、uniちゃんの目の前にあるよー。uniちゃんは今、何が見える?

unico:海でしょ、空でしょ、オジイでしょ。

神様:そーでしょー。豊かさというのは「海」と思いなさい。

神様:みんなお金お金ってお金ばっかり欲しがるけど、お金は豊かさの本体じゃないよー。お金はねー、あれさ、塩みたいなものさー。豊かさから取り出したほんの一部分なわけさー。

unico:お金はお塩?!

神様:そーさー。海水を汲んでさー、天日で干したり、鍋で火にかけたりするでしょー。すると水分が蒸発して塩を取り出せるわけ。塩が欲しいからって海の水をたくさんすくっても海の水は減らないさー。それくらいカンタンに、子どもでも知ってる方法で、豊かさからお金は取り出せるよー。

unico:子どもでも知ってる方法…それって具体的にはどうすればいいってこと?

神様:それはニライカナイ(海の彼方にある豊穣の源の神様の世界)からの宿題さー。しっかり考えなさーい!


おきなわ物語 

*****

…というわけで、会話の口調はかなり脚色してます(笑)が、ここに書いた内容はすべてそのワークで教えてもらった内容です。

結局、答えは自分で考えなさいということなので、うーん、と考えた結果、私的には「愛と感謝」かな?と思いました。

豊かさは減らない。だから気前よく分かち合う。そうしたら、自ずと感謝が生まれるから、それを交換&交歓し合う。

「これ好き。ありがとう。」「うれしい。ありがとう」って伝え合う。これなら小さい子でもよく知ってる!

ただ、この解を導き出した当時の私は、思うような富を手に入れることはできませんでした。それが何故なのか、今ならわかります。それは、本当の意味で感謝をしていなかったから。

1年くらい前までの私は、受け取ることがとても苦手で、何かをいただいたり、好意的な行為をしてもらったりしても、「ありがたい」と思う一方で「申し訳ない」と思ってしまっていたんです。

「申し訳ない」と思っている時点で、それは本当には感謝していないのだということに気づいてしまって、この1年は、本当の意味で受け取ること、感謝すること、をみっちり練習してきました。

 ➡ 関連リンク1:最愛の人からの贈りものまで拒んでいたことに気づいた愛の贈りもの

 ➡ 関連リンク2:受け取る猛特訓をして真の感謝に開眼した受容と供給

それは、受け取っていいという許可を自分に出すことでもあり、自分には受け取る価値があるということを承認する地道な作業でもありました。

だからこそニライカナイのオジイの言葉の意味が以前よりもわかってきた気がするし、塩だけじゃなく、海全体が見える目を持てるようになってきたかなー、と思う今日この頃。

ちょうどアンガマの時期(お盆)を迎えようとしていることもあり、思い出したことにも何か意味があるのかもしれません。

 

article no. 027

豊かさの秘密とありあまる富

昨日のPC原稿消滅事故から受け取ったギフトが、実はまだあります。

消えた原稿について、惜しい気持ちがまったくなかったかというとそれは嘘です。そりゃあね、多少はね。いや、だいぶ?(笑)

でも、すぐに次のような力強い声が自分の内側から聞こえてきました。

原稿は消滅しても何度でもまた書ける。
私の中に「核」があるから、言葉はいくらでも溢れてくる。
こんこんと湧き出づる尽きせぬ泉のように。

これってスゴくないですかー?!

失われたものは、実は失われていないんです。

もしこれが、大金や金塊やなんかだったら悲惨だったけれど…なんていう思いが一瞬よぎりましたが、またすぐに新たな考えがやってきました。

もし大金だったっとして、なくなったまったく同じそのナンバーが印刷された紙幣は返ってこないかもしれないけれど、それを手にした私という人間は、何も損なわれることなく存在している。それなら、もう一度同じだけの大金を生み出すことは、普通に考えて可能なはず。


The Angels of Abundance

これは、原稿でもお金でも同じことだと思います。失われたものは実は失われていないし、盗もうと思っても奪えない。私が生きている限り、私の内部の核で創造の火花がパチパチしている限り、消そうと思っても消すことなんてできない。

そう考えると、目に見える所有物がなくなる心配をするのって、実はとんでもなくアホらしいことなのかもしれません。それどころか「目に見えない価値を生み出す能力に限界がある」という呪いを自分で自分にかけていることになっていたりして?! オソロシイ〜!

そういえば、林檎ちゃんも

価値は 生命に従って付いている
ほらね君には富が溢れている

って歌ってましたね。

豊かさの秘密が少しだけ開示されたような気がするので、私自身のありあまる富を素直に認めることにします!

article no. 026

世界は満点の星空のように美しい

書き溜めていた複数の原稿がごっそり消えてしまいました。

スリープ中にPCの電池が切れていたらしく、充電後再起動してもファイルが復活しなかったという初歩的かつ痛恨のミス。リサーチだけでも数日を費やして書いたものだったのに…(T_T)

しかし。

この事故から、大きなギフトを受け取りました。

ちょうど昨日、消滅してしまった原稿にカバラ(ユダヤ教神秘主義)に関して次のようなことを書いていたんです。

「カバラは知識として学んだり理解したりするものではなく、受け取った教えを実践して生きてゆくもの」


wikipediaより

そして今朝、読んでいた本の中で個人的にヒットした箇所にも

「ただ伝授されただけの知識は地中深くに埋まった貴金属のようなもの。それを使わないのは馬鹿げたこと。」

というようなことが書かれていました。

この「ヒットする感覚」=「潜在意識が発する小さな声」なので、耳を澄ますチャンス到来とばかりに、原稿が消えたことの意味について自分自身と対話してみました。

すると、原稿が消えたのは、リサーチし尽くした知識を再編集して再構築するレポートではなく、咀嚼した自分の言葉で語れ、という自分からの愛あるダメ出しなのだという応答がやってきました。

緻密で正確な裏付で固められた鎧や兜を脱ぎ捨てなさい。
血の通った体温を感じる生身の言葉を発しなさい。
その言葉は既に私の中にあるから。

この内なる声が響いたことによって、頭の中に閃光が走り、私の身に起きている出来事が数珠つなぎにつながる感覚がありました。

まるで、スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大卒業祝辞の有名な言葉「Connecting the dots.(「点をつなげる」)」のように。

「うわー、ジョブさん、リアルConnecting the dots.だよーーー!!!」
と興奮して鼻血が出そう(笑)。

興味深いことに「事故」と「自己」は同じ発音なんですよね。

自分で起こしている。
自分で創造している。

気づくために。
目覚めるために。

ひとつひとつ離れて無関係に見えていた点と点の記憶や体験が、閃光のような光のラインでつながったら、unico座とでも呼ぶべき唯一無二の星座のようになりました。

誰もが神聖幾何学のように不思議な秘密をたたえて美しく瞬く自分だけの星座を持っているとしたら…。世界は満点の星空のように美しい。思わず笑みがこぼれます。

article no. 025