All is calm, All is bright

あけました。
おめでとうございます。

生まれた季節ということも
あるのかもしれないけれど
一年のうちでいっとう好きな
この季節。

すべてが静かで、
清らかで、
安らかで、
まぶしくて、
澄んでいて。

自分の内側にある
死んでいた部分が
新しく蘇っていく感じ。

昨年の後半に、
ちゃぶ台をひっくり返してから、
何本か記事を書いてみた。

けれど、公開はしなかった。

しっくり。
が、大事なんだ。

しっくり。
はナマモノだから、足が早い。

 

言いたいことや
伝えたいことが
たくさんある時には
言葉を伝える口だとか、
文章を書く(打つ)手指が
全然追いつかない。

考えてること、
感じてることが
高速すぎて、
一瞬前の私と
一瞬後の私では
どこかの何かがほんの少し
もう変わってしまっている。

その移ろいの中で
パッと発光するものに、
強烈に心を奪われて
「あっ!」と息を飲むのだけれど、

次の瞬間にはもう
消えていってしまうから、
それが何だったのか
すぐに忘れてしまう。

そうなったら最後、
追いかけることも
追いつくことも
できはしない。

一瞬の燦きの切れ端を
どうにかこうにか
言葉に残そうとするくらいしか、
スロウな私にはできないのだ。

でも、その言葉の中に
すくいとられた残像は、
燦きを思い出すための
アンカー(錨)になる。

記憶の底に沈んだ光を
意識の上に浮上させて、
まざまざと思い起こすことができる
魔法の呪文になりえるのだ。

言葉が、
私を導く灯台になり、
私を守護するお守りにもなる。

 

金色の魚のような
一瞬の燦きを
よく見たい、忘れたくない、
と思うのなら、

その瞬間、
過ぎ去っていく
そのしっぽを、
ぎゅっとつかむしかない。

たくさんを
つかまえる必要はない。

大切なものなんて、
少ししかないのだから、

ここぞ、という一瞬に。
これぞ、という燦きに。

手を伸ばすことを
躊躇しないように。

 

2018年 mano a mano は、
ほうき星のしっぽをつかまえる
実験のような場に
なるかもしれない。

この文体ですら、
2017年の投稿とは
かなり異なる試みなので、
戸惑う方もいるかもしれず。

でも、たぶん、
いちばん戸惑っているのは
他の誰でもないこの私だ。

 

自分自身を思い出す。

逆説的だけど、
それは同時に
自分を忘れ、
自分をなくしていく道なのだと思う。

戸惑いすらも
なだめつつ、
しっくり。
にとことんこだわる所存。

どうしても心が揺れる時、
折れそうな時には、
この年初の静謐な心持ちを
思い出せますように。

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