明日から生き方が変わる(かもしれない)映画『メッセージ』

映画『メッセージ』を観てきました。

映画『メッセージ』オフィシャルサイトより

ものすごーく大雑把にいうと“地球外生命体とのコンタクトのお話”(端折り過ぎw)でした。

賛否両論あるでしょうが『インターステラー』とか『ツリー・オブ・ライフ』とかが好きな人(私か!)にはオススメです。

『ツリー・オブ・ライフ』に出てきたサンクスギビング・スクエア教会のステンドグラス, This photo of Thanks-Giving Square is courtesy of TripAdvisor

ただキレイな画なんじゃなくて、言葉にすると陳腐過ぎるんだけど、親になって初めてわかる愛しいわが子への際限のない慈しみの気持ちが滲み出して滴り落ちているかのようなキラキラした映像の連続に胸がきゅーっとなりました。

ジャンルはSFだけどどちらかというとファンタジー寄り(オチがね)で、言語学者が主人公という点も言語好きな私としては楽しめたポイントです。

私は日本の高校を卒業後イギリスの大学に進学したのですが、それまでの「言わずもがな」とか「沈黙の美学」的な“慮る”要素の強い言語環境(=日本)から「わからないのがデフォルト」「分かり合えない前提を踏まえて、それでも理解したいと手を伸ばし合う」異文化/異言語空間(=イギリス)に身を置いたことで、コミュニケーションの基本姿勢というものを深く学びました。

違いを見つけて批判・攻撃するためでなく、違いを認めて理解・協力するために言葉やコミュニケーションはあるんだよね、たとえそれが宇宙人相手であってもね。

他にも、サピア=ウォーフ仮説とか、パズルのピースの話とか、筒井康隆的なアレ(ネタバレ!)とか、私的に怒涛の気づきの連続だったのですが、この映画の視聴後感想を一言にまとめるとするならば「一瞬一瞬、感じていることや思ったことを、素直に伝える人生を生きよう」と反省と自戒と神妙さを込めて思ったのです。

これってひとりではできないこと。必ず相手がいなければ。隠れコミュ障さんにとっては、間違いなく大きなチャレンジです。

そんな想いで明日から過ごしていこうと思うので、明日から人生変わっちゃうかもしれません!!!

article no. 016

名前にまつわるエトセトラ vol.3 〜結婚して名前が変わるということ〜

小さい頃から自分の名前が嫌いだった私。
嫌いと感じていたいちばんの理由は読み間違えられることが多く、正しい名前を呼んでもらえなかったことですが、母から聞いた自分の名前の由来や、名前に使われている漢字の由来を知って、ますます自分の名前嫌いが深まっていきました。

 💡 まだ読んでいない方は、こちらからどうぞ♪
 ↓ ↓ ↓
➡ 名前にまつわるエトセトラ vol.1 〜聖杯伝説への誘い〜

➡ 名前にまつわるエトセトラ vol.2 〜自分の名前が嫌いでした〜

このシリーズを書いていてふと思い出したことがあったので、忘れないうちに書き留めておこうと思います。

学生時代に、母が「◯◯(私の旧姓=母にとっては結婚後の姓)という苗字が嫌い」と言ったのを聞いて、とても悲しい気持ちになったことがありました。

母が「嫌い」という言葉を使ったのは「漢字の字面のバランスを取るのが難しく、上手に書けないから」というような話から始まり「電話帳に1件しかないような珍しい名前なのが嫌だ」というような流れの中で、だったと記憶しています。

母の旧姓は小学校低学年で習う平易な漢字で構成されていて、左右対称の文字(たとえば田中とか山田みたいな)だったので、年賀状などでもとても書きやすかったそうなのです。

娘の私に言わせれば、父も母もとてもきれいな字を書く人たちだったのですが、母は自分の書く字が好きじゃないという理由で記名の際によく父に代筆してもらっていました。

父の苗字が「嫌い」といっても、別に父のことが嫌いと言ったわけでもないし、父方の祖父母のことが嫌いと言ったわけでもなかったのですが、なぜだか、父に連なる一族全体(もちろんその末端に私もいる)が、否定されているような感覚を覚えました。

それは、決して致命的な刺し傷のような傷ではなく、とても小さな、だけど切れ味がよすぎて血すら出ないような、サイズに見合わぬ痛みを伴う切り傷のような、そんな傷を負ったような感覚でした。

小さい頃から自分の名前を嫌っていた私なのに、母が名前(苗字)を「嫌い」だと言ったのを聞いたら傷つくように感じるなんて、自分のことを棚にあげていてなんだかズルいんですけどね(苦笑)

現代ではビジネスネームとして旧姓を使用する女性もたくさんいますが、日本では戸籍上の夫婦別姓が認められていないため、婿取りをしない女性は、婚姻によって強制的に相手の苗字を名乗ることになるわけです。

男性にはなかなか伝わらないかもしれませんが、これってものすごく大きな変化なんですよ!

そして、この大変化を喜ばしく感じる場合はよいのですが、疎ましく感じる場合も一方では確実にあるわけで。

私の母だけでなく、新婚ほやほやだった中学時代の理科の先生が「自分の苗字が変わらなければいけないことに憤慨している」とアイデンティティ・クライシス的なことを話していたことが思い出されたりもします。

ただ幸運なことに、結婚当初から、私は、結婚した夫の苗字がとても気に入っています。

夫の苗字がたまたま宗教に関係がある用語でもあるせいか、自分の名前を書くときにはいつも写経するような気持ちで書いているし、名前を名乗る際にもマントラを唱えるような気持ちで声に乗せています。意識するのではなく、とても自然にほぼ自動的にそうなるのです。

いわゆる「うしろの人」(守護霊とかご先祖様とか)が視える人から、私が名前を書いている時に、「うしろの人がスッと立ち上がった」と言われたことがあるんですが、そういうことがあっても、不思議じゃないという気がしちゃうくらい夫の苗字に連なるものに守られている感覚があると言っていいと思います。

たかが名前、されど名前。なんですよね。

article no. 015

母の日でした

ご無沙汰ちゃんです。unicoです。

今日は母の日でした。

息子からカード
夫からキャンドル
をもらって
じーーーん。
となりました。

この数週間
体調不良が
続いていて。

それでも仕事は
平日も週末もなく
せわしなくて。

自分が
「お母さん」
だったことを
忘れていたことに
気がつきました。

そんな折、
母からの電話で
母も私と似たような
体調不良のただ中に
あることを知り

やっぱりどこかで
つながっている感覚。

そんな母の日に寄せて。

みんなみんな
お母さんから
生まれました。

愛おしい人にも
そうでない人にも
知らないどこかの誰かにも
必ずお母さんがいます。

仲がいいとか悪いとか
一緒にいるとかいないとか
いろいろな事情も
あるかもしれない。

それでも。

お母さんが
こどもに注いだ
気持ちや
手間や
時間って

ピラミッドも
万里の長城も
かないっこないくらい
途方もないものなのです。

どんなにたくさんの
すごい人
きれいな人
かしこい人
がいる中で

自分がちっぽけで
イケてないように
思えたとしても

お母さんは
わが子だけを
一心に目で追って

わが子の
すごさや
すばらしさを

誰よりも
彼よりも

よーく
よーーーく
いちばん理解して

誇らしく
感動しています。

心ない外野なんかに
なんと言われようと

ただ
しあわせを

ただただ
いのちの輝きを

信じて

祈って

あれこれ
手出し口出し
したいのを

ぐっとこらえて
見守っています。

そんなお母さんが
大切にしている
いのち

それが
私であり
あなたです。

article no. 014