Good Morning, World!

いつもより1時間早く目が覚めたら、寝室のカーテンが鮮やかなペールコーラル色に染まっていた。ブラインドカーテンを開けると、長雨と台風の後の久々の朝焼け。

朝がくることがこんなに嬉しい!ということをしばらく忘れていた気がする。

日の出や日の入りを見るといつも思うのは、毎日毎日繰り返されて当たり前のように感じている1日だけど、実は、今日という日は今日だけのものだということだ。今日という日は二度と帰ってこない。1日1日をその日が最後だと思って、会う人々への言動や起こす行動に意識を向けられたら、退屈な日常なんて瞬時に消え失せるものだ。

朝、遅延なく電車が動いて自分や家族を目的地に運んでくれることも、食卓にのぼる様々な食材を味わっていただいて、体の栄養として、自分の命に取り込んで生き続けていけるのも、その1回1回が、かけがえのないありがたいことなのだ、と改めて思う。日々の中にある幸福に感謝して感動できる自分を育てるのは自分しかいない。

眼下の街を見て、頭の中に聴こえて来たのはラジオ体操の歌と、カヒミちゃんの歌。
 
新しい朝がきた! 
希望の朝だ!

 
 -ラジオ体操の歌
 
Make this world a bettetr place
Good morning world

 
 -Nick Currie “Good Morning World” (sing by Kahimi Kalie)

そして、毎日の日課であるオグ・マンディーノの『世界最強の商人』を読むと、そこにも今朝にぴったりな言葉が刻まれていた。

私は今日という日を心からの愛をもって迎えよう。
I will greet this day with love in my heart.

 
 -Og Mandino “The Greatest Salesman in the World”

ちゃぶ台をひっくり返したくなったら 2

未読の方はこちらから。

WordPressに変わる手段をいろいろ模索していた時に、以前運営していた静的HTMLの自サイトでかつての自分が書いたコンテンツを読み返してみた。これが、もう自画自賛以外の何ものでもないのだけど、個人的に面白い!と感じてしまった。当然ながら、自分が書いているのだから興味や趣味・嗜好性のど真ん中なわけなんだけど、このWordPressで書いてきたことの100倍面白いと正直思った。

その違いは、ものすごく明白で、営利を目的としていない完全なる自己満足サイトで、自分が考えていること、感じていることを他人の目を恐れずに率直に書いていたからだ。

正直、今のMANO A MANOの更新がこんなに億劫(ぶっちゃけすぎ)で、更にまっさら事件という現実を自分で創造しちゃったのだって、結局のところ、自分自身がいちばん面白がっていないのが原因なのだと思う。

私が“嘘くさいいい子ちゃん”過ぎて面白くないのだ。

小学校低学年の頃から毎年親が先生に呼び出される問題児だった私が、中学入学後1年くらいすごく平和で穏やかに生きていた時期があった。それは公立の小学校から私学のクリスチャンスクールに入学して、いわゆる良家の子女たちとキリストの教えに馴染もうとした努力の賜物だったのだけど、今思えば、羊の群に入った狼が羊になろうとして不毛な努力をしているような状態だったと思う。

12歳の柔らかい頭への教化の影響もあって、それが正しいと信じての努力だったけれど、お腹の中で吠え狂う自分の声がどんどん大きくなっていって、誰かの言いつけを守る“いい子ちゃん”を、あるタイミングでやめた。それと同じようなことが、今また、私の中で起こっている。

去年、ビジネスについて学んで、教えられたことをやって、いや、教えられたこと全部なんて全然できてないけど、それでも、言われたことを一度飲み込んでやってみて、実際に成果も出たけれど、それをやっている自分が正直、吐き気がするほど嫌で嫌でしょうがなかった。

当時から「行動しろと言われて動いちゃう自分が、投げられたボールを条件反射のように拾いに行く犬みたいで嫌で嫌でたまらない」と仲間に漏らしてもいた。「普通の人は行動できなくて悩むのに、行動しちゃうのが悩みなんて、言ってる意味がわからない」なんて変人扱いされたりもした。「考える前に行動にうつせるなんて、教えたことが身体化できていて、ブレイク前夜ですね!」とは当時の講師の談。自分の違和感を無視して走った結果、まったく動けなくなってしまったので、未だ夜は明けないままなのは見てのとおりだ。

そんな違和感ありまくりで立ち上げたWordPressサイトは、ビジネスサイトを作らなければいけないのに、メインサービスはメニューに載せない、スケジュールも載せない、お客様の声ももらってるのに全然載せない、のないない尽くしで、「uniちゃんのサービスはどこで見られるの? どうしたら申し込めるの?」と尋ねられる体たらく。

だって、本当に元も子もない言い様だけど、自分でも気が進まなかったのだ。気が進まないながらやったことは、意図しないものを引き寄せて、更にやる気を失うことにつながってしまったこともあった。

今回、まっさら事件を機にまた自分の中の吠え声が大きくなった。「自分自身を思い出したい人、いらっしゃい」と呼びかけている私自身が自分自身を思い出すために、牙も爪も隠すどころか常に研いでおくことこそが生きていく上で必要不可欠なことなのだと思う。

そういうわけで、ちゃぶ台をひっくり返します。

ちゃぶ台をひっくり返したくなったら 1

WordPressのプラグインを更新したらWordPressがまっしろけになってしまったまっさら事件以来、 mano a manoをどうしたものかと思い、試行錯誤していた1ヶ月。

まずは、契約しているサーバを動かしているプログラムのバージョンが原因で、 現時点でWordPressの更新をそのまま素直に受け入れて行くことが環境的に不可ということが判明。

じゃあサーバの借り先を変えればいいということになるんだろうけど、 メール(個人だけでなく家族も使用している)だったりドメインだったりの契約もまとめてしている プロバイダーなので、乗り換えによる影響範囲が大きくてなかなか気軽にはいかないということを理解した。

次に、WordPress以外のブログサービスに切り替えようと思い、とある有料サービスに申し込んだけれど、「帯に短し、襷に長し」という状況だったのですぐに解約。

手詰まりの末に思い立ったのは、今更ながら以前運営していた静的HTMLのウェブサイトを復活させる案。 そこで2週間ほどちくちくHTMLを修正・更新する日々が続いていたのだけれど、 レスポンシブ対応の面でこちらも断念に至る。

結局はプロバイダーが自社サーバにお金をかけてシステム環境を更新してくれるのを待ちながら WordPressはあまり触らずにいくという暫定的保留措置を取ることになった。

自動でback upを取るのは、最初のサーバ側のシステム環境問題に一周して戻ってしまい不可能なので、とりあえずは手動で実行していくしかないようだ。 幸いなことに、そんなにたくさん書いてないので、消失してもさほど痛手でもなかったりして。

プラグインの更新に起因してサイト内リンク切れが多発していたので、 固定ページは一旦すべて非表示にした。

というのも、今日のタイトルに関わるのだけれど、なんとなく、 ここらで、この1年くらいやってきたことのちゃぶ台をひっくり返したくなったのだ。

と、ようやくタイトルまで到達したけれど、長くなってしまったので、つづく。

まっさら。

頭の中が真っ白になる。

とはよくいったもので、かれこれ1ヶ月ほど前に、
私の頭の中も真っ白になりました。

頭の中身だけでなく、
外側を覆う毛髪まで真っ白になるかと
思う…ほどではなかったですけどね。

なにゆえ私は全白髪の憂き目にあったのか?

それは…

イニシャルW.P.のあの御方、
WordPress御大(っていうかその子分?)のシワザでした。

ある日、プラグインとかいう
P御大の子分的な輩がですね、

「おーい、unicoー、
とっととオレ様たちを更新しろよー」

と15人がかりで詰め寄ってきたわけです。

素直さでいったら生後50日のパンダかunicoか、
と、巷で言われたことなんて一度もありませんが、

世の5歳児ママ界ではピュア度平均値100倍(当社比)を優に超える
超優良純粋ママ(えーと、アホともいう?)な私なので、
素直に更新ボタンをポチッとな。

そうしたら、次の瞬間、私のWordPressサイトが

まっさら。

になっちゃったではありませんかー‼︎

1ヶ月前のあの日あの夜、

ギャーーーーーーー!!!

という叫び声が、聞こえたなら
それは幻聴ではありません。

Google先生に泣きついて救いを求めたところ、
全世界で頻繁に発生している現象らしいので、
先生お墨付きの先輩方の教えに従って、
3パターンくらいのことを試してみたら
なんとか復元できました。

機械オンチじゃない先輩方からしたら
茶飯事だと思いますが、
生後50日の私(ちがうでしょ!)にとっては、
全白髪か全ハゲか、くらいな大事件でした。

それ以来、WordPressサイトを更新するのがコワくなり、
長すぎる夏休みに突入してしまいました。
マズイですねー。むぅーん。

更新ボタンを押さなければいい、
というだけの話だとは思うけど
時代は変わるし、WordPressも進化するわけで。

更新を放置し続けたらそれはそれでトラブルのもと。
いつまでも目つぶってもいられないんだろうな。。。

御大との別れが近づいていたりいなかったりするのかしないのか。
そんな未来もそう。

まっさら。

なのです。

豊かさの教え 〜ニライカナイ編〜

自分の内側にある目に見えない富についての気づきをシェアしたついでに、以前、豊かさに関するワークをした時の体験を思い出しました。自分にとっての備忘録的な意味も込めて書き残しておこうと思います。

フラワーエッセンスを使って22日間で自分に必要な豊かさを実現するプログラムがあります。その名もアバンダンス・プログラム


Nature World

販売元のウェブサイトには以下のような説明がされています。

アバンダンスプログラムには、2本のエッセンスと1本のオイル、そして自己発見と自己成長の為の22日間のエクササイズが含まれています。このプログラムは、自分の意図を明確にし、必要のない信念、態度、行動などを脱ぎ捨てて、自分自身の「豊かさ=アバンダンス」の目標を、楽しみながら、たやすく実現することを助けます。

このプログラムに取り組んでワークもそろそろ終盤という時期に「豊かさとは?」という問いに対する私の中から出てきた回答が、とてもシンプルかつ印象的だったので、未だに忘れられずにいます。

※以下に書くのは瞑想していた時に浮かんだ情景と会話です。

そこは、サンゴ礁の浅瀬が続く白い砂浜でした。

八重山諸島の竹富島のコンドイ浜のような場所といったら、イメージが伝わりやすいかもしれません。


やいまねっと

その砂浜には私の他に、アンガマのウシュマイのお面のような顔をした神様がいて、私に「豊かさ」についてこんな話を聞かせてくれたんです。

*****

unico:オジイ、どうしたら充分豊かでお金の不安のない生活ができるようになる?

神様:そんなのカンタンさー。豊かさは目の前に無尽蔵にある、と思えばいいさー。地球上の全員が手にしても減らないくらいたくさんあるからよー。

unico:本当?! 無尽蔵どころか、私の持ってる現実の豊かさときたら、悲しいくらい微々たるものなのよー。

神様:こんなにたくさんあるでしょー?!

unico:あると思いたいけど…

神様:よーく聞きなさい。これから大切なことを教えるよー。豊かさは、uniちゃんの目の前にあるよー。uniちゃんは今、何が見える?

unico:海でしょ、空でしょ、オジイでしょ。

神様:そーでしょー。豊かさというのは「海」と思いなさい。

神様:みんなお金お金ってお金ばっかり欲しがるけど、お金は豊かさの本体じゃないよー。お金はねー、あれさ、塩みたいなものさー。豊かさから取り出したほんの一部分なわけさー。

unico:お金はお塩?!

神様:そーさー。海水を汲んでさー、天日で干したり、鍋で火にかけたりするでしょー。すると水分が蒸発して塩を取り出せるわけ。塩が欲しいからって海の水をたくさんすくっても海の水は減らないさー。それくらいカンタンに、子どもでも知ってる方法で、豊かさからお金は取り出せるよー。

unico:子どもでも知ってる方法…それって具体的にはどうすればいいってこと?

神様:それはニライカナイ(海の彼方にある豊穣の源の神様の世界)からの宿題さー。しっかり考えなさーい!


おきなわ物語 

*****

…というわけで、会話の口調はかなり脚色してます(笑)が、ここに書いた内容はすべてそのワークで教えてもらった内容です。

結局、答えは自分で考えなさいということなので、うーん、と考えた結果、私的には「愛と感謝」かな?と思いました。

豊かさは減らない。だから気前よく分かち合う。そうしたら、自ずと感謝が生まれるから、それを交換&交歓し合う。

「これ好き。ありがとう。」「うれしい。ありがとう」って伝え合う。これなら小さい子でもよく知ってる!

ただ、この解を導き出した当時の私は、思うような富を手に入れることはできませんでした。それが何故なのか、今ならわかります。それは、本当の意味で感謝をしていなかったから。

1年くらい前までの私は、受け取ることがとても苦手で、何かをいただいたり、好意的な行為をしてもらったりしても、「ありがたい」と思う一方で「申し訳ない」と思ってしまっていたんです。

「申し訳ない」と思っている時点で、それは本当には感謝していないのだということに気づいてしまって、この1年は、本当の意味で受け取ること、感謝すること、をみっちり練習してきました。

 ➡ 関連リンク1:最愛の人からの贈りものまで拒んでいたことに気づいた愛の贈りもの

 ➡ 関連リンク2:受け取る猛特訓をして真の感謝に開眼した受容と供給

それは、受け取っていいという許可を自分に出すことでもあり、自分には受け取る価値があるということを承認する地道な作業でもありました。

だからこそニライカナイのオジイの言葉の意味が以前よりもわかってきた気がするし、塩だけじゃなく、海全体が見える目を持てるようになってきたかなー、と思う今日この頃。

ちょうどアンガマの時期(お盆)を迎えようとしていることもあり、思い出したことにも何か意味があるのかもしれません。

 

article no. 027